
彼の知らない、私の秘密
舞踏会の一件以来、アレクシオス殿下の監視の目は、さらに厳しくなったように感じる。
廊下ですれ違えば意味深な視線を向けられ、授業で指されれば、その答えの一言一句を分析するような目で見つめられる。
この間なんて、学園のカフェテリアでケーキを選んでいただけなのに、「君、甘いものも食べるのだな」なんて、背後から話しかけられる始末。私の好みまで把握するつもりなの!?
おかげで私の胃は、もう限界だった。
(このままじゃ、破滅エンドの前に、私がストレスで倒れちゃう……!)
何か、別のことに集中しなければ。
それに、いつまでも殿下の動向に怯えているだけでは、未来は開けない。
破滅エンドが避けられなかった時のために、私は私の生きる道を用意しておくべきだ。
そう思い立った私は、実家であるクラインフェルト公爵家へ一通の手紙を送った。
内容は、「領地の経営状況について、学業の合間に勉強したいので、関連資料を送ってください」というもの。
もちろん、表向きは勉学のため。本当の目的は、私が破滅した後に、領地の片隅で静かに暮らすための、安全な場所の確保である。
数日後、公爵家から分厚い書類の束が寮の自室に届いた。
侍女が淹れてくれた紅茶を飲みながら、私はその書類に目を通していく。
そこには、領地の税収、農作物の収穫量、特産品、他領との交易記録などが、びっしりと書き込まれていた。
(うーん、これは……)
前世で、会社員として様々なデータを見てきた私の目からすると、クラインフェルト領の経営は、あまり効率的とは言えなかった。
毎年同じ作物を同じ土地で育てているせいで、土地の力が弱まっているのが分かる。いわゆる、連作障害というやつだ。
(これなら、私にも何かできるかもしれない……!)
私は前世の知識を総動員して、改善案を練り始めた。
まず、土地をいくつかの区画に分け、違う作物を順番に育てる「輪作」を導入する。それから、痩せた土地でもよく育ち、栄養価も高い新しい作物……そうだ、前世で「ジャガイモ」と呼ばれていた、あの作物を育ててみてはどうだろう。この世界のジャガイモは、まだ品種改良が進んでおらず、あまり美味しくないと聞く。私が知っている知識で、もっと美味しいジャガイモが作れるかもしれない。
さらに、収穫した作物を、ただ売るだけではなく、加工して付加価値をつける。
例えば、長期保存できる乾燥ポテトや、ポテトチップスのようなお菓子。それから、ポテトを使った蒸留酒なんていうのも、面白いかもしれない。
私は夢中になって、何枚もの羊皮紙に、具体的な計画を書き出していった。
『――前略、家令のセバスチャンへ。先日お送りいただいた資料、拝見しました。つきましては、領地のさらなる発展のため、いくつか提案したく筆を執りました。第一に、輪作農法の導入です。土地を四つに分け、小麦、根菜、豆類、そして休耕地と、毎年ローテーションさせることで、土地の消耗を防ぎ、収穫量の安定化を図ります。第二に、ポムの実(この世界でのジャガイモの呼び名)の新品種導入。寒冷な北部地域でも栽培可能な品種の選定と、その調理法の研究を……。第三に、堆肥の作成による土壌改善。これまで廃棄していた家畜の糞や生ゴミなどを発酵させ、栄養豊富な肥料として活用します……』
完成した計画書をセバスチャンさんに送ると、数日後、彼から驚きと戸惑いに満ちた返事が届いた。
『お嬢様、これは……あまりに斬新なご提案で……。特に、ポムの実の加工品というお考えには、度肝を抜かれました。領地の学者たちも、このような発想はなかったと頭を抱えております。先日、お父上である公爵閣下にもご報告したところ、大変驚かれ、「イザベラに任せてみよ」とのお言葉を賜りました。早速、手配いたします』
どうやら、私の計画は、真面目な家令さんの心に響いたらしい。
それから数カ月。
私の計画は、驚くほどの成果を上げた。
新しい品種のポムの実は、冷害に強いだけでなく、味も良いと評判になり、領地の食糧事情を大きく改善した。
ある日、寮に届けられた小包には、セバスチャンさんからの手紙と、試作品だというポテトのお菓子が入っていた。カリカリとした食感と、程よい塩味。前世でよく食べた、あの味だ。美味しい。
そして、同封された報告書によれば、ポムの実から作った蒸留酒は、王都でも大人気となり、公爵家に莫大な利益をもたらしたのだという。
いつしか、学園の生徒たちの間でも、こんな噂が囁かれるようになっていた。
「クラインフェルト公爵家のイザベラ様は、とんでもない経営の才能をお持ちらしい」
「ああ、あの美貌だけでなく、頭脳までお持ちとは……」
もちろん、そんな噂は、アレクシオス殿下の耳にも届いていた。
彼は以前にも増して、私に話しかけてくるようになった。
だが、その雰囲気は、以前の「監視」や「尋問」とは、少し違っていた。
ある日の放課後、私はまた図書館にいた。
すると、ごく自然に、殿下が私の隣の席に座ったのだ。
「……ごきげんよう、殿下」
「ああ。また難しい本を読んでいるな」
彼は、私が読んでいた領地経営の本を覗き込む。
「領地の改革、見事な手腕だと聞いている。報告書を読んだが、この半年で、クラインフェルト領の税収は三割も上がっているそうだな」
「……恐れ入ります」
「一体、どこでそんな知識を? 輪作という考え方も、ポムの実の加工も、聞いたことがない」
彼の瞳は、純粋な好奇心に満ちていた。
私を、探るように。まるで、複雑なパズルを解くかのように。
「……昔、少しだけ、本で読んだことがありましたので」
「本、か。私も大概の書物は読んできたつもりだが、君のような発想は、見たことがない。どの本だ? ぜひ、私も読んでみたい」
「そ、それは……外国の、古い本でして……題名までは……」
まずい、冷や汗が出てきた。
これ以上聞かれたら、ボロが出てしまう。
「外国の古い本一冊で、農業も、商業も、醸造学まで学んだと? それは、奇跡の書だな」
「……っ」
「教えては、もらえないか。私は、君が何者なのか、知りたいんだ」
殿下は、楽しそうに目を細める。
その表情に、私は戸惑うばかりだった。
以前の彼なら、「何を企んでいる?」と、もっと直接的に聞いてきたはずだ。
なのに、今の彼は、まるで私という人間そのものに、興味を持っているように見える。
「君は、本当に面白いな、イザベラ」
殿下は、舞踏会の時と同じセリフを、けれど、全く違う響きで言った。
「君を見ていると、飽きることがない」
そう言うと、彼は満足したように立ち上がり、図書館を去っていった。
一人残された私は、ただ、呆然と彼の後ろ姿を見送るだけだった。
(なんなの、一体……)
私の知らないところで、何かが、確実に変わり始めている。
それは、果たして良いことなのか、それとも、新たな破滅フラグの始まりなのか。
私には、まだ分からなかった。
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