
舞踏会と、意外なパートナー
森での魔法実習から数日後。
あの時のアレクシオス殿下の、得体の知れないものを見るような冷たい視線が、私の脳裏に焼き付いて離れない。
殿下はあれ以来、私をさらに厳しく監視しているようで、学園のどこにいても、常に背中に突き刺さるようなプレッシャーを感じる。もう胃が痛い。
そんな私の元に、一通の招待状が届いた。
差出人は、王家。
内容は、王家の主催する、建国記念の舞踏会への招待だった。
(ぶ、舞踏会……!)
またしても、ゲームの強制イベントだ。
原作の舞踏会で、イザベラはここぞとばかりにアレクシオス殿下に付きまとい、他の令嬢たちに婚約者としての立場を見せつけ、さらにはヒロインのエリアナに恥をかかせようとする。
その結果、殿下の心証を最悪のものにしてしまうという、自爆イベントである。
(行きたくない……絶対に行きたくない……!)
だが、王家主催の舞踏会を、公爵令嬢である私が欠席することなど許されるはずがない。
こうなったら、やることは一つ。
(――壁の花に、徹する!)
会場の隅で、空気のように気配を消し、誰とも話さず、誰の目にも留まらない。
飲食コーナーの近くに陣取って、ひたすら時間が過ぎるのを待つのだ。
それが、このイベントを乗り切る唯一の方法。
私は侍女に、手持ちのドレスの中で一番地味なものを準備させた。
もちろん、公爵令嬢のドレスなので、地味といってもそれなりの品ではあるが、色は夜の闇にまぎれるような深い紺色。宝石の飾りも、胸元にささやかにあしらわれているだけ。他の令嬢たちが着るであろう、赤やピンクの華やかなものに比べれば、ずっと落ち着いている。
これなら、きっと大丈夫なはずだ。
そして、舞踏会の当日。
きらびやかな王宮の大広間は、着飾った貴族たちで埋め尽くされていた。
天井のシャンデリアが放つ光が、あちこちで宝石やドレスに反射して、まばゆいばかりの光景を作り出している。
(うわあ……すごい……)
元平民の私は、その光景に一瞬だけ心を奪われるが、すぐに我に返る。
いけない、いけない。今日の私は、この光景に感動しに来た観光客ではない。壁の一部になるために来たのだ。
私は計画通り、会場の隅にある飲食コーナーの近くに陣取ると、グラスを片手に、ひっそりと息を潜めた。
周りを見渡せば、華やかな令嬢たちが、楽しそうにおしゃべりをしている。
その輪の中心には、やはり、アレクシオス殿下がいた。彼は今日も完璧な王子様で、優雅に微笑みながら、貴族たちと談笑している。
そして、少し離れた場所には、エリアナさんの姿もあった。
彼女は、控えめながらも清楚な魅力のある水色のドレスを着て、少し戸惑ったように立っている。特待生である彼女も、招待されたのだろう。
原作通りなら、ここで他の攻略対象の男性キャラたちが、次々と彼女をダンスに誘うはずだ。事実、すでに何人かの令息が、彼女の周りをうろついているのが見える。その中には、騎士団長の息子で、熱血漢のあの人の姿も……。
(よしよし、いい感じ。みんな、エリアナさんに夢中だわ。私のことなんて、誰も見ていない)
そう思った、その時だった。
ふと、アレクシオス殿下と目が合ってしまった。
しまった、と思ったが、もう遅い。
彼は周りの貴族たちに一言断ると、まっすぐに、私のいる方へと歩いてくるではないか。
嘘でしょ!?
周りの人々が、モーゼの十戒のように割れて道を開けていく。その道の先には、ポツンと一人で立つ私。
もう、全ての注目が私に集まっているのが、肌で分かる。
「……ごきげんよう、殿下」
震える声で、なんとか挨拶をする。
心臓は、今にも破裂しそうだ。
「ああ。今宵も、ずいぶんと静かだな、イザベラ」
殿下は私の目の前で止まると、優雅に微笑んだ。
「よろしければ、一曲、お相手願えるだろうか?」
断れるはずが、ない。
周りからの「まあ!」「さすがは婚約者様ね」という声が、ぐさぐさと私に突き刺さる。
「……喜んで、お受けいたします」
差し出された手を取ると、私たちはホールの中心へと導かれる。
音楽が始まり、私たちはゆっくりと踊り始めた。
殿下の手が、私の腰に回される。その手に込められた力強さに、背筋が伸びる。近すぎる距離に、頭がクラクラする。
「壁際で、何をしていた?」
ダンスのステップを踏みながら、殿下が低い声で尋ねてきた。
「いえ、別に……少し、休憩を……」
「ほう? 森での一件以来、君はずいぶんと休憩が多いようだな」
チクリ、と嫌味を言われる。
やっぱり、あの件を根に持っているのだ。
「君は、あの特待生……エリアナ嬢と、親しいのか?」
「い、いえ、まったく! ほとんど、お話したことも……」
「では、なぜ助けた? 君らしくもない」
彼の空色の瞳が、私をじっと見つめる。
その視線に、嘘はつけない、と本能が告げていた。
「……それは、その……目の前で、困っている方がいたから、としか……」
「そうか」
殿下は、納得したのかしていないのか、分からない返事をする。
沈黙が、重くのしかかる。
何か、何か言わなければ……!
「あ、あの、殿下こそ、エリアナさんのことを、気にかけていらっしゃるご様子……」
しまった! 墓穴を掘った!
原作通りなら、彼はこれからエリアナさんと恋に落ちるのだ。私が口を出すことではなかった。
「……ああ。彼女には、特別な力があるからな」
殿下は、あっさりとそう認めた。
「それに比べて、君は本当に面白いな」
「へ?」
「本当の君は、一体、どれなんだ? 傲慢な令嬢か、森で魔物を一人で倒す実力者か、それとも、今、私の腕の中で震えている、臆病な小動物か」
そして、彼は私の耳元に顔を寄せ、こう言った。
「教えてくれ、イザベラ。君の本当の狙いは、何だ?」
頭が、真っ白になる。
狙いなんて、ない。ただ、平穏に生きたいだけ。
そう叫びたいのに、喉がカラカラに乾いて、声が出ない。
(どうしよう、どう答えればいいの!? 『静かに暮らしたいだけです』なんて言っても、信じてもらえるはずがない! かといって、何か適当なことを言えば、さらにボロが出る……!)
心臓が早鐘のように打ち、彼の腕の中で体がこわばるのが分かる。
「わ、わたくしは……ただ、静かに……」
しどろもどろに答える私を、彼は面白そうに見つめている。
その瞳は、もはや獲物を見る肉食獣のようだ。
やがて、曲が終わる。
殿下は私をエスコートして、元の場所まで送ってくれた。
「……今宵は、楽しかった」
彼はそう言い残すと、すっと背を向けて、人混みの中へと消えていった。
一人残された私は、その場にへたり込みそうになるのを、必死にこらえた。
周りの令嬢たちの、好奇と嫉妬に満ちた視線が痛い。遠くで聞こえる楽しげな音楽が、今の私の心境とはあまりにもかけ離れている。
計画、大失敗。
壁の花になるはずが、一番目立ってしまった。
そして、アレクシオス殿下の疑いを、確信に変えてしまった。
私の平穏な未来は、一体どこにあるのだろうか。
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