
人身御供の祝言
私が生まれた家には、名前が二つあった。
一つは、表向きの村の有力な家としての名前。そしてもう一つは、『呪われた家』という、影の名前。
そして、その家に生まれた私は、ずっと『呪いの子』と呼ばれてきた。
日照りが続けば、私が雨雲を遠ざけているのだと言われた。長雨が降れば、私が太陽を隠しているのだと罵られた。物心ついた頃から、私の周りにはいつも冷たい視線と、ひそひそ声があった。両親は私をいないものとして扱い、村の子供たちは私を見つけると石を投げた。「呪いがうつる」と叫びながら。食事を与えられず、冬の日に蔵に閉じ込められたことも一度や二度ではない。すべては、私が『呪いの子』だから。私のせいで、この村には災いが起きるのだと、誰もがそう信じていた。
だから、今年の日照りが続き、作物が枯れ始めたとき、村の長老たちが私の家に来たのは、当然のなりゆきだったのかもしれない。
「森の神、常磐様がお怒りだ。生贄をささげねば、村はほろぶ」
「ついては、お宅の美世どのを、人身御供として差し出していただきたい」
その言葉を聞いたとき、父も母も、少しも悲しそうな顔をしなかった。むしろ、厄介払いができると、ほっとしたような表情さえ浮かべていた。私の心は、もう何も感じなかった。ああ、そうか。私は、食べられるために生きてきたのか、と。そう思っただけだった。
粗末な白い着物を着せられ、私は村人たちの手で森の入り口にある鳥居まで連れてこられた。その白い着物は、本来なら嫁入りする娘が着る、晴れ着のはず。けれど、私が着ているこれは、死にゆく者のための着物だった。
「ここから先は、神様の領域だ。一人で行け」
そう言って、彼らは逃げるように去っていった。誰一人、私をふりかえる者はいなかった。
森は、不気味なほど静かだった。うっそうと茂る木々が日の光をさえぎり、昼間だというのに夜の闇がおりたように薄暗い。ぬかるんだ土を踏みしめ、私はただ、奥へ奥へと進んだ。時折、獣の遠吠えのようなものが聞こえ、そのたびに肩が震えた。
けれど、歩き続けるうちに、森の空気が変わったことに気づいた。地面はビロードのような苔におおわれ、木々の間からは淡い光を放つキノコが顔をのぞかせている。空恐ろしいほどに、幻想的な光景だった。死に向かう道のはずなのに、まるでどこか別の世界に迷い込んでしまったかのようだった。
どれくらい歩いただろうか。疲れ果てて、足がもつれて倒れ込んだ先に、それはあった。
苔むした石段。その先に立つ、古いが立派な屋敷。ここが、あやかしの住処。私の、死に場所。
覚悟を決めて門をくぐると、屋敷の主は、縁側で静かに月を見ながらお酒を飲んでいた。
人間ではない、と一目で分かった。
夜の闇をとかしたような、つややかな黒髪。陶器のように白い肌。そして、月光を映して金色に輝く、獣の瞳。あまりに整った顔立ちは、美しいというより、恐ろしいと感じた。
「……人間か。供え物だな」
静かな、それでいて有無を言わせぬ声だった。
私は震える体をしかりつけ、その場にひざまずいて頭を下げた。
「はい。美世、と申します。人身御供として、まいりました」
「そうか」
彼は立ち上がると、ゆっくりと私の方へ歩いてくる。一歩、また一歩と近づくたびに、死の気配が濃くなる。
ああ、ここで喰われるのだ。
私はぎゅっと目を閉じた。
けれど、いつまで経っても衝撃は来なかった。
おそるおそる目を開けると、彼は私の目の前にしゃがみこみ、じっと私の顔をのぞき込んでいた。金色の瞳が、探るように私を見つめている。
「……ひどいなりだな。腹は、へっているか?」
「え……?」
予想外の言葉に、間抜けな声が出た。
彼は私の返事を待たずに立ち上がると、屋敷の奥に向かって声をかけた。
「誰かいるか。この娘の世話を。風呂と、食事の用意をさせろ。寝床もだ」
どこからともなく現れた、顔のないのっぺらぼうの侍女たちが、私を屋敷の中へと誘う。されるがままにお風呂に入れられ、上等な絹の寝間着に着替えさせられた。
そして、広い座敷に通されると、そこには一人では食べきれないほどの豪華な食事が並んでいた。つややかな塗りのお椀に、湯気の立つ白米。見たこともない木の実の和え物や、香ばしい匂いの焼き魚。
毒でも入っているのだろうか。それとも、太らせてから食べるつもりなのだろうか。
そんな疑いが、目の前の料理の湯気で少しずつとかされていく。
お腹が、ぐぅ、と鳴った。何日ぶりの、まともな食事だろう。
私が戸惑っていると、いつの間にか部屋の上座に、あのあやかしが座っていた。彼は私を値踏みするように見ているわけでもなく、ただ静かにそこにいるだけだった。
「食わぬのか」
「あ……い、いただきます」
恐る恐る箸を取る。震える手で口に運んだ汁物は、優しい出汁の味がした。冷え切って、何も感じなくなっていたはずの体に、じんわりと温かさがしみわたっていく。
美味しい。
そう感じた途端、せきを切ったように涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。止まらなかった。
どうして泣いているのだろう。悲しいから? 悔しいから? 違う。
温かい。ただ、そのことが、こんなにも胸を締め付けるなんて知らなかった。
彼は何も言わず、私が泣き止むのを、そしてすべての料理を食べ終わるのを、静かに待っていた。
食事が終わると、私はふかふかの布団が敷かれた部屋に通された。こんなに清潔で、温かい寝床で眠るのは、生まれて初めてだった。
(もう、どうなってもいいや……)
満たされたお腹と、温かい布団の心地よさに、私の意識は急速に沈んでいく。
明日には、きっと喰われるのだろう。でも、それでもいい。最後に、あんなに美味しいものを食べられたのだから。
もうろうとする意識の中、障子がすっと開く音がした。
月明かりを背に、彼が立っていた。常磐様、と村の人が呼んでいた、森の神。
「眠るか、美世」
「……ときわ、さま……」
彼が、私の名前を呼んだ。誰かに名前を優しく呼ばれるなんて、いつぶりだろう。
彼は私の枕元に座ると、そっと私の髪をなでた。その手つきは、壊れ物をあつかうように、ひどく優しかった。ありえないことだと分かっているのに、その指先から、温かい何かが流れ込んでくるような気さえした。
「よく、ここまで来たな」
その声に安心して、私は完全に眠りに落ちようとした。
その、直前。
「今日からお前は、私の花嫁だ」
耳元でささやかれた言葉の意味を、私は理解できないまま、深い眠りに落ちていった。喰われるのでも、生贄になるのでもない。『花嫁』だなんて。そんなこと、あるはずがないのに。でも、その声は不思議と、私の心を安らがせた。絶望の底に差し込んだ、細く、頼りない一筋の光のように。
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