
配信協力は放課後の教室で
秘密が共有されてから数日。俺と高坂凛の関係は、新しいステージに突入していた。具体的に言うと、『地獄のような気まずさ』ステージだ。
朝、教室で会っても、お互いにかける言葉が見つからない。俺はファンとしての立場とクラスメイトとしての立場の板挟みになり、脳が正常に機能しない。凛は凛で、中の人バレした配信者として、どう振る舞うべきか決めかねている。結果、俺たちはこれまで以上に、互いを空気として扱うという、あまりにも不毛な協定を結んでいた。
(いや、これ、前より確実に悪化してないか……?)
休み時間、一人で分厚い本を読む凛の横顔を盗み見ながら、俺は心の中で何度目か分からないため息をついた。以前はただの「塩対応なクラスメイト」だった。だが今は違う。彼女は俺の最推しであり、同時に、俺は彼女の最大の秘密を握る唯一のクラスメイト。情報量が多すぎて、脳の処理が追いつかないのだ。
推しに認知されている、という喜び。中の人を知ってしまった、という絶望。この二つの感情が、俺の中で常に殴り合いの喧嘩を続けている。
そんなある日の放課後。俺が今日も今日とて、さっさと帰ろうとカバンを手に取った、その時だった。
「……相川くん、ちょっといい?」
凛に、呼び止められた。数日ぶりに交わす、まともな会話だった。俺の心臓が、ドクンと大きく、そして嫌な音を立てる。
「な、なな、なんでしょうか……高坂さん」
「……こっち」
凛はそう言うと、スタスタと教室の隅、窓際の席へと歩いていく。そこは、普段彼女が本を読んでいる、彼女だけの聖域《サンクチュアリ》。俺は、まるで裁判所へ連行される被告人のような気分で、おずおずとその後ろについていった。
二人きりの教室。夕日が差し込み、床に俺たちの長い影を作っている。空気中のチリが、光の筋となってキラキラと舞っていた。
「単刀直入に言うわ」
凛は、まっすぐに俺の目を見て言った。その瞳には、もう迷いの色はない。覚悟を決めた者の、強い光が宿っていた。
「あなたに、私の配信を手伝ってほしい」
「……へ?」
予想外すぎる言葉に、俺は間の抜けた声を出した。手伝う? 配信を? この俺が? 混乱する俺をよそに、凛は言葉を続ける。
「あなたは、私のファンなんでしょう? それも、かなり熱心な。ハンドルネーム、『ユウ』。いつも一番にコメントをくれるし、高額なスパチャも……」
「うっ……! そ、そこまで知っているのか……!」
身バレどころか、ファン活動まで完全に把握されていた。恥ずかしさで死にそうだ。事実だ。否定のしようもない。俺のスパチャ額とコメント頻度は、おそらく全リスナーの中でもトップクラスのはずだ。
「私は、見ての通り、こういう性格よ。友達もいないし、流行りにも疎い。配信で話すネタも、いつもギリギリで、必死に考えてる。……正直、もう限界なの」
凛は、初めて俺に弱音を見せた。それは、画面の向こうの完璧で、いつも明るいシエルちゃんからは、想像もできない姿だった。そのギャップに、俺の心臓が不覚にもキュンと鳴った。
「だから、あなたに協力してほしいの。ファンだからこそ、分かることがあるはず。何が面白くて、リスナーは今、何を求めているのか。それを、私に教えて」
これは、命令だ。いや、必死なお願いだ。俺が愛してやまない推しからの、必死のSOS。一ファンとして、いや、一人の男として、断れるわけがなかった。
「……わかった。俺でよければ、協力する」
俺がそう答えると、凛はほんの少しだけ、本当に少しだけ、表情を和らげた。氷が、ほんの少しだけ溶けたような気がした。
「そう。じゃあ、早速だけど、次の企画案、何かある?」
「え、今ここで!?」
「当然でしょ。時間は有限なのよ」
こうして、俺と凛の、奇妙すぎる放課後が始まった。それは、秘密の作戦会議であり、Vtuberとその熱狂的ファンによる、一対一の超絶プレミアムなコンサルティングだった。
「まず、最近のシエルちゃんの配信は、少しマンネリ化してると思うんだ」
「……マンネリ」
凛の眉がピクリと動く。やばい、初手から辛口すぎたか。だが、プロデューサーとして、ここで日和るわけにはいかない。
「いや、もちろん面白いんだ! 大前提として面白いんだけど、ファンとしては、そろそろ新しい一面が見たい、というか……。例えば、今までやったことのないジャンルのゲームに挑戦してみるとか、どうかな」
「……ホラーゲームとか?」
「最高だね! シエルちゃんが本気で怖がる姿、絶対リスナーは喜ぶ。ギャップ萌えってやつだ。間違いなく、切り抜き動画もバズる」
俺は、ファンとして培ってきた知識と分析を、我を忘れて熱っぽく語った。普段の俺からは考えられないほど、よく喋っていた。凛は、最初は不思議そうな顔で聞いていたが、次第に真剣な表情で俺の話に耳を傾け、ノートに何かをすごい勢いで書き留め始めた。
「なるほど……。参考になるわ。他には?」
「ええと、あとは視聴者参加型の企画もいいと思う。コメントでアンケートを取って、多数決で次の行動を決めるとか。リスナーは、自分が配信に参加しているっていう実感が欲しいんだ」
「……一体感を、演出するのね」
「そう! それ! 高坂さん、分かってるじゃないか!」
「……凛でいい」
「へ?」
「二人きりの時は、凛でいいわよ。……プロデューサー」
不意打ちの破壊力に、俺は言葉を失った。気づけば、俺たちは夢中になっていた。夕日が完全に沈み、教室が濃い藍色に染まるまで、俺たちは語り合った。それは、ただのクラスメイトでもなく、配信者とファンでもない、不思議で、だけど確かな「共犯者」としての、濃密な時間だった。
「……じゃあ」
凛はノートを閉じ、立ち上がった。
「次の配信、そのホラーゲーム企画でいくわ」
「りょ、了解!」
俺は、思わず敬礼しそうになるのを、必死でこらえた。
「……それと、相川くん」
「はい!」
「これから、放課後は毎日、ここで会議よ。いいわね?」
有無を言わさぬ、絶対命令。だが、その声には、ほんの少しだけ、楽しそうな響きが混じっているような気がした。
「あなたが、私のプロデューサーなんだから」
そう言って、凛は教室を出ていった。一人残された俺は、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて、じわじわと込み上げてくる喜びと、とんでもないことに巻き込まれたという自覚に、顔が熱くなるのを感じていた。
(俺が、シエルちゃんの、プロデューサー……!)
それは、あまりにも光栄で、あまりにも荷が重い、最高にエキサイティングな称号だった。
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