
秘密の共有者(になってしまった)
真実、というものは、時として残酷だ。そして、大抵の場合、知りたくなかったことだったりする。
俺にとってのそれは、「隣の席の塩対応女子が、俺の最推しVtuberでした」という、ラノベのタイトルでも安直すぎると酷評されそうな、最悪の現実だった。
あの日以来、俺の世界は一変した。いや、正確には、俺の対・高坂凛用のコミュニケーション能力が、完全に地に落ちてゼロになった、と言うべきか。
「……」
朝、教室で顔を合わせても、もう「おはよう」の一言すら言えない。彼女の顔をまともに見られないのだ。だって、見てしまったら最後、あのクールな顔立ちの奥に、脳内で勝手に推しのアバターがチラついてしまうから。そして、そのアバターが氷のような視線をこちらに向けてくる。無理だ。精神がもたない。SAN値がゴリゴリと、無慈悲に削れていく。
結果、俺は徹底的に凛を避けた。プリントを渡す時は、視線も合わせず光の速さで後ろの席の人に回す。彼女が移動教室で席を立てば、俺は教室の逆方向の出口から大急ぎで逃げる。我ながら、達人級の回避スキルだった。ファン失格だ、という罪悪感が胸に重くのしかかる。
(頼むから、俺に構わないでくれ……! 俺はただのファンAなんだ……!)
心の中で、俺は毎日そう祈っていた。俺はその他大勢の、画面の向こうから応援しているだけの、しがないリスナーなのだ。中の人となんて、これっぽっちも関わりたくない。神は、遠きにありて思うもの。その距離感が、心地よかったのに。
だが、そんな俺の悲痛な祈りは、あっさりと裏切られることになる。
「あの、相川くん」
「ひゃいっ!?」
ある日の昼休み。俺が机に突っ伏して死んだふりを決め込んでいると、突然、頭上から凛の声が降ってきた。俺はカエルが潰れたような奇声を発して飛び上がる。心臓が喉からまろび出るかと思った。
「な、ななな、なんでしょうか、高坂さん……!?」
「……あなた、最近ずっと、私のこと避けてない?」
氷のように冷たく、それでいてどこか探るような視線が、俺を真っ直ぐに射抜く。その整った顔立ちの奥に、「何か知っているわね?」という明確な圧を感じるのは、決して俺の被害妄想ではないはずだ。
「そ、そんなことないですよ!? 気のせいじゃないかな、あはは……はは……」
「そう」
凛はそれ以上何も言わず、すっと自分の席に戻っていった。だが、俺の背中には、疑惑という名の針が何本も突き刺さったままだった。怖い。怖すぎる。彼女からすれば、俺はただの挙動不審なクラスメイトだろう。気味悪がられているに違いない。ああ、もう最悪だ。
そして、運命の放課後が、まるで断頭台への階段のように、着実にやってきた。
最悪なことに、今日の日直は俺と凛だった。二人きり。この広くて静かな教室に、二人きり。時計の秒針の音だけが、やけに大きく聞こえる。もはや公開処刑のステージとしか思えなかった。
俺たちは一言も交わさず、黙々と黒板を消し、日誌を書く。その間の空気は、シベリアの永久凍土よりも冷たく、重かった。早く、早くこの時間が終わってくれ。神様、仏様、シエル様……。
すべての作業が終わり、俺が「じゃ、お先に……」と大急ぎで逃げ出そうとした、その時だった。
凛が、自分の机の上のものを片付けようとして、ペンケースを床に落とした。プラスチックの軽い音がやけに大きく響き、中身が派手に散らばる。
「あ……」
俺は、ほとんど無意識だった。体が勝手に動いていた。条件反射、と言ってもいい。散らばったペンや消しゴムを、彼女と一緒に拾い集める。
「……悪い」
「いや、別に……」
気まずい。とにかく気まずい。早くこの場から立ち去りたい。その一心で、俺は最後の一つ、彼女の足元に転がった消しゴムを拾い上げ、立ち上がった。
そして、口から滑り出たのだ。長年連れ添った相棒のように、あまりにも自然に。悪魔の言葉が。
「さて、と。これで全部かな」
しまった、と思った時には、もう遅かった。血の気が、さっと引いていく。
目の前の凛の動きが、ピタリと、時が止まったかのように停止する。彼女はゆっくりと顔を上げ、俺の顔をじっと見つめた。その瞳は、今までにないほど、強く、鋭い光を宿していた。
「……今の、何?」
地を這うような、低い、低い声だった。
「え? な、何が……?」
「『さて、と』……って言ったわよね、今」
心臓が、鷲掴みにされたように痛んだ。バレた。なんで、よりによって、この口癖を……! 俺の馬鹿! この口を縫い付けてやりたい。
「そ、それは、その……俺の口癖、みたいな? たまに、言うかなー、なんて。あはは……」
「嘘。そんな口癖、今まで一度も聞いたことない」
凛は、一歩、俺に近づいた。カツン、と彼女のローファーが床を鳴らす。逃げ場はない。俺は壁際に追い詰められたネズミだ。
「あなた、先週からずっとおかしかった。私のこと、ストーカーみたいに観察してたかと思えば、急に幽霊でも見るみたいに避けるようになって……。何か、知ってるんでしょう?」
問い詰める彼女の顔は、いつもの無表情とは違う。そこには、焦りと、不安と、そしてほんの少しの怒りが、複雑に混ざり合って浮かんでいた。
もう、ごまかせない。俺の貧弱な脳みそが、全力でそう告げていた。
俺は観念して、固く目をつぶった。そして、震える声で、すべてを白状した。
「……見て、ました。先週の、配信を……」
「!」
「限定の、ペン……あなたが持ってるのと同じのが、画面に映ってて……。それで、音楽の授業の、歌声、で……」
言葉が、しどろもどろになる。何を言っているのか、自分でもよく分からない。ただ、目の前の少女――高坂凛であり、蒼穹のシエルである彼女――の顔が、みるみるうちに青ざめていくのだけは、夕暮れの教室の中でも、はっきりと分かった。
「……ぜんぶ、知ってたんだ」
彼女の呟きは、あまりにもか細く、震えていた。
秘密は暴かれた。俺が一方的に暴いて、そして、今、俺のあまりにもうっかりした一言によって、その事実が共有されてしまった。
俺たちの気まずい関係は、今日、終わりを告げた。そして、もっと気まずくて、どうしようもなく厄介な、新しい関係が始まってしまったのだ。
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