
断罪の食卓
準備は、万端――。
もう、私は一人じゃない。
心の中でそう呟き、美咲は静かに覚悟を決めた。
この一週間、マジで眠る時間も惜しんで証拠を集めまくった。
かき集めた物証、ボイスレコーダーに溜め込んだ暴言の数々、そして……蓮がくれた謎のメモ『Chronos\_Gate7』。
――パズルのピースは、すべて揃った。
ダイニングテーブルの上には、 みっちりと整理されたファイルが並ぶ。
不倫の証拠写真。ホテルのレシート。クレカ明細のコピー。
そして過去三ヶ月……私がどれだけ耐えてきたと思ってるんだって話だけど、密かに録音し続けた智也とクソ姑・芳子の暴言コレクション。
そのすべてが、弁護士お墨付きの「法的に有効な証拠」だ。
鏡の前で、最後の身支度を整える。
紺色のワンピースに、真珠のネックレス。
そう、私はいつもの「良い妻」。上品で、控えめな、ね。
だけど……そこに映る瞳の光だけは、もう以前の私なんかじゃなかった。
「日曜日、大事な話があるの。お義母さんと一緒に、家にいてちょうだい」
金曜の夜。
帰宅した夫、智也にそう告げると、アイツは……ニヤリ、と。
心底、下劣な、勝ち誇った顔を浮かべた。
「はっ、ようやく反省したか。俺のありがたみが分かったようだな?」
鼻で笑いながら、智也はネクタイを乱暴に緩める。
「ま、君程度の女が俺を繋ぎ止めておけると思った方が、そもそも間違いなんだよ。でも……ま、素直に謝るってんなら? 今回だけは許してやってもいい。ただしッ! 条件がある」
「……条件?」
「今後、俺の行動に一切口出しするな。家事はパーフェクトにこなせ。そして、母さんの言うことは……絶対だ。分かったか?」
その、あまりに傲慢な態度。
私の心から、最後の同情みたいなものがスッと消えていくのが分かった。
ああ、そう。
この男は、最後の最後まで、自分の非を認めるつもりなんてないんだな。
「――分かりました」
私の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。
智也は、ちょっと拍子抜けしたような顔をしてる。バカな男。
そして、日曜日。
私は朝から、念入りに、それはもう念入りに準備を進めていた。
リビングには上等な茶器。姑・芳子の好物である、クソ高い菓子折り。
すべては、この断罪劇のための舞台装置だ。
午後2時。
ピンポーン、とインターホンが鳴る。
(来た……!)
ドアを開けると、そこにいたのは姑の芳子だけじゃなかった。
智也の腕にねっとりと絡みつき、勝ち誇った笑みを浮かべる女――朝倉玲奈。
(ご丁寧に、愛人同伴かよ……ッ!)
妻を屈服させるその瞬間に、愛人を立ち会わせる。
彼の歪んだサディズムの、最高傑作ってとこか。
私への、最後の侮辱のつもりなんだろうけど……残念、もう何も感じない。
「美咲さん、初めましてぇ。玲奈ですぅ」
挑発的な笑み。見え見えの猫なで声。
明らかに高価なブランド服に、智也が買い与えたであろうダイヤのネックレスが、これみよがしにキラついている。
「智也さんから、奥さんがようやく現実を受け入れたって聞いて。いやぁ、賢明な判断だと思いますぅ」
「あら、玲奈さんまで。わざわざどうも。話が早くて助かるわ」
動揺一つ見せない私に、智也と玲奈が一瞬、戸惑いの表情を浮かべた。
面白い。
芳子だけは、そんな空気も読まずに、高慢ちきな態度でズカズカとリビングに入ってくる。女王様気取りかよ。
「美咲さん! 今日という今日は、はっきりさせましょうッ! あなたには、智也を幸せにする能力がないということをね!」
芳子は息子と愛人を両脇に従え、ソファのど真ん中にドカッと座った。
智也も玲奈も、勝利を確信した表情でふんぞり返ってる。
ああ、ムカつく。本当にムカつく。
「そうですね。はっきり、させましょうか」
私は完璧な笑顔で、完璧な作法で紅茶を差し出す。
そして、何気な~い素振りで、テーブルの引き出しからファイルを取り出した。
「では、まずはこちらをご覧くださいな」
バサッ!!
ファイルを開き、テーブルの上に大量の証拠写真を叩きつけるように広げた。
六本木のラウンジでの密会、ホテルから出てくる二人、手を繋いで歩く姿……。
どれもこれも、鮮明に、二人のアホ面がはっきりと写っている。
「こ、これは……ッ! お前、いつの間に……!」
顔面蒼白になる智也。その手は、面白いほどカタカタ震えていた。
「し、知らないわっ、この人ったら! なによこれ、合成写真じゃないのぉ!?」
玲奈は必死で平静を装ってるけど、その声、めちゃくちゃ上ずってるんですけど?
「あなたが至らないから智也が浮気するのよ! 女として魅力がないからでしょうがッ!」
出た。姑の十八番。
いつもの決まり文句が、ヒステリックに響き渡る。
「お義母さん」
――ニヤリ。
「その言葉、待ってました」
私がスマホをタップすると、リビングのBluetoothスピーカーから、クリアすぎる音声が響き渡った。
『美咲さん、あなたは智也の寄生虫よ』
『出来損ないの嫁のくせに、偉そうにしないでちょうだい!』
『智也がもっといい女と付き合うのは、当然でしょうが!』
『あなたみたいな女、離婚されて当然よッ!』
芳子の金切り声が、部屋中に響き渡る。
3ヶ月かけて録り溜めた、数十時間分の暴言耐久ボイスだ。
「ひっ……! い、いつの間に、こんな、ものを……!」
芳子の顔が、サーッと青ざめていく。
自分の醜い本性が、こんな形で記録されてるなんて、夢にも思わなかったんだろうな。
「お義母さん。これは名誉毀損と精神的虐待の、立派な証拠になります。もちろん、弁護士にも確認済みですよ?」
私の声は、どこまでも冷静だった。
その時だった。
ガチャリ、と。
まるで救世主の登場を告げるかのように、玄関のドアが開いた。
「お兄ちゃん、お母さん……あんたたち、本当に最低ッ!!」
怒りに満ちた表情でリビングに飛び込んできたのは、智也の妹・結衣ちゃんだった。
「美咲さんから、全部聞いたよ! こんな人たち、水野家の恥だわ!」
結衣ちゃんは、まっすぐ私の隣に立つと、実の兄と母をキッと睨みつけた。
「結衣! 何を言って……」
「黙って、お兄ちゃん! 結婚してから、あなたがどれだけ変わったか! 昔はもっと優しい人だったのに……ッ! 今のあなたは、母さんそっくりの嫌な人間になっちゃったじゃない!」
身内からの痛烈な一撃。
それは、彼らにとって完全に予想外の攻撃だったらしい。智也と芳子は、ただただ呆然と口を開けていた。
……だけど。
玲奈だけは、まだ、折れていなかった。
むしろ、フッと不敵な笑みを浮かべ、スッと立ち上がる。
「……これで終わりだと思ったら、大間違いよ、美咲さん?」
彼女はスマホを取り出し、あるSNSの画面を私に見せつけてきた。
そこに表示されたアカウント名は――『水野美咲の真実』。
「あなたの過去、ぜーんぶ、調べさせてもらったの。大学時代の恋人のこと、就活での失敗、お父様の借金問題……へぇ、面白い話が、たくさんあるのねぇ?」
そこには、私が決して知られたくなかった、結婚前の過去が……。
まだ投稿はされていない。けど、下書きには私の恥部が、これでもかと詳細に記されていた。
「一歩間違えれば、これが全世界に拡散。あなたの親御さんや、友人たちにも……届くでしょうねぇ?」
玲奈の脅しに、一瞬、心臓がドクンと嫌な音を立てた。
……でも。
私はすぐに冷静さを取り戻す。
「なるほど。そこまでして、智也さんが欲しいわけね」
「当然でしょ。私は、負けるつもりないんで」
火花が散る。
夫への復讐を誓った妻と、愛人の座に執着する若い女。
智也と芳子は、事態が自分たちの想像を遥かに超えて複雑化していることに、ただただ困惑している。
単純な謝罪で、土下座で済むと思っていたんだろう。甘いんだよ。
私は、深く息を吸った。
玲奈の反撃は、正直予想外だった。
でも、だから何? 屈するつもりなんて、1ミリもない。
(面白いじゃない……)
むしろ、これで全ての敵が出揃った。
戦いは、まだ始まったばかり――。
さあ、本当の断罪を、始めようか。
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