
クールなエージェントは、価値を知る
あの屈辱のパーティーから、三日が経った。
私は、白鷺家の屋敷を飛び出した。夜逃げ同然の家出だった。振り返れば、両親の怒声が聞こえてきそうだったけれど、もう振り返らないと決めた。最低限の着替えと、そしてあの夜、混乱に乗じて私の『ガラクタの蔵』に収納した、高遠家の宝剣だけを持って。
蔵の中で、宝剣にまとわりついていたどす黒い呪いは、私の仮説通り、すっかり浄化されていた。今はただ、清らかな輝きを放つ、美しい美術品となっている。これが、私の能力の真価。そして、これからの私の唯一の頼みの綱だった。
まずは、当面の生活費を稼がなければならない。解放感と同時に、たった一人で生きていくことへの漠然とした不安が胸をよぎる。けれど、不思議と怖くはなかった。前世の記憶が、そしてこの新しい能力の可能性が、私を支えてくれていたから。
向かったのは、様々な古い品物や曰く付きの品が集まるという、神保町の裏通りだ。古びたビルの一角で、週末だけ開かれる怪しげなアンティーク市。ここなら、この剣の価値を分かってくれる人がいるかもしれない。
「お嬢さん、そいつは見事な剣だね。偽物にしちゃあ、よくできてる」
最初に声をかけてきたのは、人の良さそう初老の店主だった。
「いえ、これは本物です。訳あって、手放さなくてはならなくて」
「ふぅむ……」
店主は鑑定用のルーペを取り出し、剣の刃や装飾を食い入るように見つめている。けれど、その表情はすぐに困惑へと変わった。
「おかしいな。これだけの逸品なのに、全く『気』が感じられない。まるで、生まれたての赤ん坊みたいに、からっぽだ。これじゃあ、ただの鉄の塊だよ。悪いけど、値段はつけられないね」
「魂が抜けてるんだよ、これじゃ」
別の店の主人は、剣を一目見ただけでそう吐き捨てた。
「うちは呪具専門でね。呪いの気配の一つもないなら、ただのガラクタさ」
その後も、何人かの骨董商に見せたが、反応は皆同じだった。彼らが求めるのは、強力な力が宿っていたり、あるいは不吉ないわれがあったりする「曰く付き」の品。呪いが浄化され、完全にクリーンな状態になったこの剣は、彼らにとっては何の価値もない「ただの綺麗な剣」でしかなかったのだ。
(どうしよう……。これじゃあ、一円にもならない)
焦りと失望で、目の前が暗くなる。世間は、私の能力の本当の価値を、まだ理解してくれない。結局、私はここでも「出来損ない」なのだろうか。婚約破棄された時のくやしさが、じわりと胸に蘇る。
うつむいて、人ごみの中で立ち尽くす私の前に、すっと一つの影が落ちた。周囲のざわめきが、不思議と遠のいていく。
「その剣、私に見せていただけませんか」
すっと通るような、静かな声だった。顔を上げると、そこに立っていたのは、黒いスーツに身を包んだ、長身の男性だった。整った顔立ちは氷のように冷たく、感情というものが一切感じられない。けれど、その瞳だけは、まるで全てを見透かすように、私の持つ剣にまっすぐに注がれていた。
「……どうぞ」
私は、何かに引かれるように、その男性に剣を差し出した。
彼は剣を受け取ると、鞘からゆっくりと引き抜く。現れた白銀の刃が、薄暗い室内の照明を反射して、神さまのように尊い光を放った。彼はその刃を慎重に光にかざし、様々な角度から眺めている。その所作は、そこらの骨董商とは明らかに一線を画していた。
「……素晴らしい」
初めてだった。彼が、この剣の価値を認めてくれた、初めての人間だった。その一言に、思わず息が詰まる。
「この剣に宿っていたはずの、数百年にわたるうらみと呪いが、完全に浄化されている。それどころか、所有者を守護する強力な祝福の力……『聖気』へと変換されている。一体、どうやってこれを?」
男性の目が、初めて剣から私へと移される。その鋭い視線に、私はゴクリと息をのんだ。
この人、一体何者なの? 普通の人間には見えないはずの、呪いや聖気といったものを、当たり前のように見抜いている。
言うべきか、言わざるべきか。けれど、この人なら、あるいは。私は震える唇を必死で抑え、勇気を振り絞った。
「……私が、やりました」
「あなたが?」
「私の能力は、呪われたアイテムを浄化し、新しい力を与えることができます」
言ってしまってから、心臓が早鐘を打つ。初対面の相手に、自分の能力を軽々しく話すべきではなかった。もし、この人も私を「気味が悪い」と拒絶したら……。
けれど、男性は驚くでもなく、ただ静かに頷いた。
「やはり、そうでしたか。白鷺詩織さん」
「なっ……なぜ、私の名前を……!」
「我々は、あなたのことを以前から調べていました。あなたの特別な能力についても」
男性はスーツの内ポケットから、一枚の身分証を取り出して見せた。そこには、彼の顔写真と名前、そして、見慣れない組織のロゴが印刷されている。
「政府内閣府所属、異常現象対策課。桐ヶ谷蒼(きりがやあおい)と申します。我々は、異能力が関わる事件を専門に扱う、国の秘密組織です」
「異常現象……対策課……」
聞いたこともない名前だった。けれど、彼の身につけたただならぬ雰囲気と、その言葉の重みが、嘘ではないことを物語っていた。
「白鷺さん。あなたのその能力は、国にとって、いえ、世界にとって非常に重要なものです。これまで『外れスキル』と不当な扱いを受けてきたことも承知しています。ですが、我々はその真の価値を理解している」
蒼さんの言葉は、淡々としていた。けれど、その一つ一つが、乾いた私の心に染み込んでいくようだった。
価値を、理解している。その一言が、どれほど私を救ってくれたことか。
「はっきり言います。我々の組織に協力していただけませんか。あなたのその力を、正当な対価を支払って、我々のために使ってほしいのです。もちろん、あなたの身の安全と、生活は我々が保証します」
それは、願ってもない提案だった。途方に暮れていた私にとって、まさに蜘蛛の糸。
けれど、一瞬、ためらいが心をよぎる。本当に、この人を信じていいのだろうか。また、誰かに利用されるだけなのではないか。
でも、と私は思う。彼の目は、私を「道具」として見てはいなかった。私の能力を、正当な「価値」として評価してくれていた。
(私の力が、誰かの役に立つ……?)
虐げられ、価値がないとされてきたこの力が、人を、国を守るために必要とされている。
私は、ゆっくりと顔を上げた。目の前の、氷のように美しいエージェントを見つめる。
「……やります。私でよければ、協力させてください」
私の答えに、蒼さんの表情は変わらない。けれど、その瞳の奥に、ほんのわずかな満足の色が浮かんだのを、私は見逃さなかった。
「感謝します。では、こちらへ。あなたの新しい仕事場にご案内します」
蒼さんに導かれるまま、私は人ごみを抜けて歩き出した。
もう、私は一人じゃない。私の価値を認めてくれる人と出会えたのだ。
この出会いが、私の人生を、そしてこの世界のさだめさえも大きく変えていくことになる。その予感を胸に、私は新しい一歩を踏み出した。
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