手のひら返しの元婚約者、復縁要求を毅然と断るエピソード4の表紙イメージ

手のひら返しの元婚約者

 呪いのアクセサリー事件から、一週間が過ぎた。

 私の能力で犯人を特定し、蒼さんたち異常現象対策課が無事にその人を捕まえたことで、事件は解決。そして、私が浄化したネックレスは、強力な守りのアーティファクト『祝福の首飾り』として、対策課に正式に買い取ってもらうことになった。

 そのお礼として私の口座に振り込まれた金額は、目玉が飛び出るほどのものだった。これでも、アーティファクトの価値としては信じられないくらい安いのだと、蒼さんは言っていたけれど。

 ともかく、これで父の借金を返済する見通しが立ち、当面の生活にも困らない。私は対策課のオフィスの一角に自分のデスクをもらい、正式な協力者として新しい一歩を踏み出していた。過去の薄暗い日々とは違う、光の当たる場所で。

「白鷺さん、少し休憩にしないか。いいコーヒー豆が手に入ったんだ」

「あ、はい! いただきます」

 声をかけてくれたのは、もちろん蒼さんだ。彼は私の上司であり、パートナーであり、そして、私の唯一の理解者でもある。

 彼が淹れてくれるハンドドリップのコーヒーは、驚くほど美味しい。その香ばしい香りに包まれながら、次の依頼についての話を聞く。そんな静かな日常が、私にはまだ夢のように感じられた。ここには、私を「出来損ない」と見下す者は誰もいない。

 そんなある日の午後だった。

 対策課のオフィスに、けたたましいブザーが鳴り響いた。来客を知らせる合図だ。アポイントのない訪問者に、オフィスにいた隊員たちが不思議そうな顔になる。

 そして、応接室のドアを開けて入ってきた人物の顔を見て、私は自分の目を疑った。

「やあ、詩織。久しぶりだね」

 そこに立っていたのは、自信に満ちたいばった笑みを浮かべた、私の元婚約者――高遠雅也、その人だった。高級ブランドで仕立てたスーツは、この飾り気のないオフィスの中ではひどく浮いて見えた。

「何の御用でしょうか、高遠さん。私はもう、あなたとは何の関係もないはずですが」

 私は、冷静に、できるだけ冷たくそう言い放った。もう、彼の前でおびえる私ではない。

 私のその態度が意外だったのか、雅也は一瞬眉をひそめたが、すぐにいつもの調子を取り戻した。

「つれないことを言うなよ。君のために、わざわざこんな役所の隅っこまで足を運んでやったんだぞ」

 彼は、対策課のオフィスを汚いものでも見るかのように見回しながら、大股で私のデスクまでやってきた。

「はっきり言おう。君が作ったというアーティファクト、素晴らしいじゃないか。さすがは私の見込んだ女だ。君の能力は、やはり特別なものだったんだな」

 その言葉に、私は耳を疑った。

 私の能力を「外れスキル」と悪口を言い、大勢の前で婚約破棄を突きつけたのは、一体どこの誰だっただろうか。

「それで、私に何の用だとお聞きしているのですが」

「決まっているだろう? 復縁だよ。君と僕の婚約を、もう一度やり直すんだ。君の作るアーティファクトは、我がタカトオ・ホールディングスの事業に大いに役に立つ。君の力と僕の会社を動かす力が合わされば、世界だって夢じゃない。君のためを思って言っているんだ。僕から離れて、君に何の得がある?」

 彼は、さも当然のようにそう言った。まるで、私が彼の所有物であるかのように。そのあまりの自己中心的な言い分に、怒りを通り越して、もはや笑いさえこみ上げてくる。

「お断りします」

「……は? 今、何と?」

「ですから、お断りします、と申し上げました。あなたと復縁するつもりは、一切ありません。あなたの隣にいた私は、いつも価値のない『置物』でした。でも、今の私は違います。私には、私の価値を認めてくれる、新しい居場所があるんです」

 はっきりとそう告げると、雅也の顔がみるみるうちに怒りで赤く染まっていく。

「馬鹿なことを言うな! 僕が誰だか分かっているのか!? この僕が、君をもう一度パートナーとして認めてやると言っているんだぞ! 君のような出来損ないにとっては、またとないチャンスだろう!」

「出来損ない、ですか。それは好都合ですわ。あなたのような素晴らしい方に、私のような出来損ないは、到底釣り合いませんもの」

「なっ……!」

 皮肉を込めてそう言ってやると、雅也は言葉を失い、わなわなと震えている。

 ああ、なんておかしい人なのだろう。彼は、私が彼の権力や財産に頭を下げると、本気で信じていたのだ。私が、以前の私と何も変わっていないと。

「お帰りください、高遠さん。ここはあなたの来る場所ではありません。それに……」

 私は、すっと立ち上がった一人の人物の背中を見つめながら、言葉を続けた。

「私のパートナーは、あなたのような方ではございません」

 私の隣に、いつの間にか蒼さんが立っていた。その冷たい瞳は、まっすぐに雅也を見つめている。

「……なんだ、君は。彼女の護衛か何かか?」

「桐ヶ谷蒼。異常現象対策課の者です。そして、白鷺詩織さんの現在のパートナーだ」

 蒼さんが静かに告げた言葉に、雅也の顔がさらに歪んだ。

「パートナーだと? 笑わせるな。こんなただの役人が、彼女に何をしてやれる? 僕なら、彼女にお金も、有名になることも、全てを与えられるんだぞ!」

「彼女は、そんなものは望んでいない」

 蒼さんは、静かに、だがはっきりとそう言った。

「彼女が必要としているのは、彼女自身の価値を認め、その力を正当に評価し、対等な立場で隣に立つ人間だ。彼女の価値を金銭でしか測れないあなたに、その資格があるとは思えない」

「……っ!」

 正論で切り捨てられ、雅也はぐうの音も出ないようだった。

「高遠雅也氏。あなたの白鷺さんに対するこれ以上の接触は、当対策課の仕事のじゃまと見なします。すぐに帰ってください。さもないと、こちらもそれなりの対応を取ることになる」

 蒼さんの言葉は、もはや警告ではなかった。それは、逆らうことのできない、最終通告だった。

 雅也は、蒼のただならぬ迫力に完全に押されて、悔しそうに顔を歪めると、捨て台詞を残してオフィスから逃げるように去っていった。

「覚えていろ……! お前たち、絶対に後悔させてやるからな!」

 嵐が去った後のように、オフィスに静けさが戻る。

「……ありがとうございました、桐ヶ谷さん」

「気にするな。君を守るのも、私の仕事だ」

 蒼さんはそう言うと、「ああいう手合いのことは忘れて、仕事に戻るぞ」と続けた。そして、新しく淹れたコーヒーを、私のデスクに「ことり」と置いてくれた。その不器用な優しさに、私の胸は、また少しだけ温かくなった。

 もう、私は一人じゃない。私の価値を認め、守ってくれる人が、すぐ隣にいる。

 元婚約者との別れは、私にとって、過去の弱い自分との、本当の別れになった。

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