俺の推しは神対応、隣の席は塩対応、推しVtuberと塩対応クラスメイトの一致に気づくエピソード1の表紙イメージ

俺の推しは神対応、隣の席は塩対応

 部屋の明かりは消え、ディスプレイの光だけが俺の顔をぼんやりと照らしている。そこに映るのは、今をときめく個人勢Vtuber『蒼穹(そうきゅう)のシエル』。俺の、唯一無二の推しだ。

「――ってことで、今日の配信はここまで! みんな、最後まで見てくれてありがとねー! おつシエルー!」

 元気いっぱいの声と共に、画面の中の彼女――水色のグラデーションがかかった銀髪をサイドテールにした、完璧な美少女アバター――が大きく手を振る。コメント欄は「おつシエル!」「今日も最高だった!」「愛してる!」の弾幕で埋め尽くされている。もちろん、俺もその熱狂の一員だ。

『今日も一日お疲れ様、シエルちゃん。最高の癒やしをありがとう』

 すかさず打ち込んだコメントに、彼女はパッと表情を輝かせた。まるで俺のコメントだけを見つけてくれたかのように。

「あ、ユウくん! いつもありがとね! 今日のスパチャも助かっちゃった。また明日も会いに来てよね!」

 名指しのレスポンス。脳がじゅわっと焼かれるって、きっとこういう感覚を言うんだろう。俺のハンドルネームは『ユウ』。本名の悠人(ゆうと)から取った、何のひねりもない名前だ。それでも、彼女が呼んでくれるだけで、それは世界で一番特別な響きを持つ言葉に変わる。

「うっひょ……今日のバイト代、全部溶かした甲斐があったぜ……」

 椅子にもたれかかり、天井を仰ぐ。完全に魂が抜けた声が出た。半年前まで、俺の毎日は本当に灰色だった。学校と家の往復、特に趣味もなく、ただ時間が過ぎるのを待つだけ。そんな時に偶然見つけたのが、まだ登録者数も三桁だったシエルちゃんの初配信だった。彼女のひたむきな頑張りを見ているうちに、俺の世界は色を取り戻したんだ。

 画面の向こうの天使は、俺の懐事情も、そんな重たい過去も知る由はない。それでいい。推しが笑顔でいてくれるなら、俺の財布の中身など、実に些細な問題なのだ。

 そんな幸福な夜が明けて、翌日。俺の現実は、それはもう無慈悲なまでにドライで、色褪せていた。

「……」

 隣の席の女子、高坂凛(たかさか りん)は、今日も今日とて完璧な塩対応だ。

「高坂さん、おはよ」

「……」

 聞こえていないのか、あるいは俺が空気か何かだと思われているのか。彼女は分厚い文庫本から目を上げることなく、ただ静かにページをめくるだけ。長い黒髪がサラリと揺れて、その白い首筋が一瞬だけ覗く。色素の薄い唇は固く結ばれ、取りつく島もない。昨日画面越しに見た天使とは、あまりにも違いすぎる。いや、違う。比べること自体、神であるシエルちゃんに失礼だ。

 ホームルームが始まり、先生が前の席からプリントを回すように指示する。俺は自分の分を取り、残りを凛の方へ、できるだけ丁寧に差し出した。

「高坂さん、これ」

「……ん」

 彼女はプリントに視線を一瞬だけよこすと、まるで邪魔者から何かを取り上げるかのように、ひったくるように受け取って、またすぐに本の世界へ戻ってしまった。ありがとうの一言もない。これが日常。これが現実。はぁ、と俺の口から盛大なため息が漏れた。せめて、もう少し人間らしい反応というものをだな……。

 五時間目の数学の授業。俺は致命的なミスを犯した。シャーペンの芯を切らしてしまったのだ。予備のケースは、昨日のバイトで使ったカバンの中。終わった。この難解な数式が並ぶ黒板を前に、筆記用具なしで乗り切れと? 無理ゲーすぎる。

 ちらり、と隣を見る。凛は相変わらず、教科書とノートを広げつつも、その意識はどこか遠くにあるように見えた。話しかけるのは億劫だ。またあの氷点下の対応をされるのかと思うと、心が折れそうだ。だが、背に腹は代えられない。

「あ、あのさ、高坂さん」

「……なに」

 ようやく発せられた声は、鈴の音のように涼やかだけど、温度は限りなく絶対零度に近い。心が凍る。

「ごめん、何か書くもの、貸してくれないかな……?」

 我ながら情けない声が出た。凛は少しだけ眉をひそめ、心底面倒くさそうに自分のペンケースに手を伸ばした。そして、無言で一本のペンを俺の机に、ことりと置いた。

「え……」

 俺は思わず声を漏らした。それは、俺が先日、駅前の大型文房具店で最後の一個を手に入れたばかりの、人気イラストレーターと文具メーカーの限定コラボモデルだったからだ。まさか彼女もこれを持っているとは。意外な共通点に、ほんの少しだけ胸が躍った。

「あ、ありがとう……助かる」

 礼を言うと、凛は「別に」とでも言うように小さく首を振り、再び前を向いてしまった。……まあ、そうだよな。期待した俺が馬鹿だった。

 その夜。俺はいつものように、シエルの配信に没頭していた。今日の企画は、視聴者からのお便りを読みながら雑談するという、まったりしたものだ。

「へぇー、ペンを集めるのが趣味なんだ。素敵だねぇ」

 シエルは楽しそうにコメントを拾う。

「そういえば、私も最近、お気に入りのペンがあるんだよね。じゃーん!」

 画面に、一本のペンが映し出される。その瞬間、俺は自分の目を疑った。

「え……?」

 水色のボディに、銀色の星屑が散りばめられたデザイン。キャップには、小さな翼のチャームが付いている。

 間違いない。

 昼間、俺が高坂凛に借りた、あの限定コラボペンと、寸分違わず同じものだった。

「これね、すっごく書きやすくてさー。この前、文房具屋さんで見つけて、思わず衝動買いしちゃったんだ!」

 シエルは無邪気に笑っている。だが、俺の頭の中は、大量の疑問符で埋め尽くされていた。

 なんで?

 なんでシエルちゃんが、高坂さんと同じペンを持ってるんだ?

 いや、待て。落ち着け、俺。パニックになるな。限定品とはいえ、生産数が一本しかないわけじゃない。偶然だ。きっと、偶然。そうに決まってる。日本のどこかに、同じペンを持つ女子高生がもう一人いたって、何ら不思議はないじゃないか。

 俺は必死に自分に言い聞かせた。だが、心臓はドクドクと嫌な音を立てて脈打っている。

 まさか。そんなはずがない。だって、あのシエルちゃんだぞ? いつも明るくて、誰にでも優しくて、太陽みたいな女の子。それが、あの? 挨拶すら返してくれない、教室の隅で氷のように固まっているクラスメイトと、同一人物? 天地がひっくり返ってもありえない。

 そう否定した瞬間、シエルが決定的な一言を放った。

「この翼のチャーム、実は昨日、自分で付けたんだよね。ちょっとアレンジしてみたの。可愛いでしょ?」

 ――昨日?

 俺の思考が、完全に停止した。俺が凛からペンを借りたのは、今日の昼間だ。そして、その時にはもう、あの小さな翼のチャームは、確かに付いていた。

 時間が、ずれている。論理が、破綻している。

 偶然、という名の脆い逃げ道が、音を立ててガラガラと崩れていく。

 過去の配信でのシエルの言動が、フラッシュバックする。『実は人見知りなんだよね』『休みの日はずっと家にいるよ』。全部、ネタだと思っていた。でも、もし。もし、あれが本心だったとしたら? 高坂凛の、あの態度と、奇妙に一致しないか?

 いや、やめろ。考えるな。それは、開けてはいけないパンドラの箱だ。

 俺は、ディスプレイに映る推しの完璧な笑顔と、脳裏にこびりついて離れないクラスメイトの無表情を交互に思い浮かべながら、ただ呆然と呟くことしかできなかった。

「……嘘だろ」

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