騎士の献身と、芽生える想い、騎士の命がけの守護に心が揺れるエピソード3の表紙イメージ

騎士の献身と、芽生える想い

候補者たちが神殿に集ってから、数日が過ぎた。

私の生活は、相変わらず静かな緊張に満ちていた。三人の候補者たちは、それぞれの一日を過ごしているようだった。ジュリアン殿下は神殿の権力者たちと会合を重ね、ノア様は書庫にこもって「嘆き」に関する文献を読みあさっている。そしてシルヴァン様は――ただひたすらに、私のそばにいた。

私が庭を散歩すれば、数歩後ろを静かについてくる。私が書庫で本を読めば、扉の外でじっと待っている。その青い瞳は、常に私だけを捉えていた。それはまるで、私がガラス細工でできているとでも言うような、丁寧で、けれど息が詰まるほどの守護だった。

「シルヴァン様。そんなに、ずっとそばにいなくても大丈夫ですよ。神殿の中は安全ですから」

ある日の午後、私は中庭のベンチに座り、耐えきれずにそう声をかけた。彼は私の言葉に、少しだけ驚いたように目を丸くして、それから、ふわりと微笑んだ。

「いいえ、祈様。俺は、あなたの剣であると誓いました。主のそばを離れる剣が、どこにありましょうか」

「でも……」

「それに、これは俺自身の望みなのです。あなたの無事を、この目で見ていること。それが、今の俺にとって何よりの安らぎですから」

あまりに真っ直ぐな言葉に、私はまた、何も言えなくなってしまう。彼の忠誠は、私という個人に向けられたものではなく、『聖女』という役割に対してのもの。そう頭では分かっているのに、その強い眼差しに見つめられると、心臓が勝手に跳ねてしまうのを止められない。彼がそばにいると、息苦しい。けれど、その存在が、この残酷な運命の中で唯一の『守られている』という実感を与えてくれることも、また事実だった。

その日の夕暮れ時だった。

大神官様から、「嘆き」の状態を視察するため、神殿の裏手にある『嘆きの森』の入り口まで来てほしい、とのお呼びがかかった。もちろん、三人の候補者も一緒だった。

「ここが、かつては豊かな実りをもたらしてくれた森の入り口です。しかし今では、『嘆き』に蝕まれ、危険な場所となってしまった」

大神官様が指し示す先には、灰色の霧に包まれた不気味な木々が、まるで墓標のように立ち並んでいた。生き物の気配は一切なく、ただ、すすり泣くような風の音だけが聞こえてくる。見ているだけで、胸が苦しくなるような光景だった。

「聖女殿、ご心配なく。この私が、必ずやこの嘆きを払ってみせましょうぞ」

自信たっぷりに胸を張るジュリアン殿下の隣で、ノア様が冷静に分析を始める。

「……霧の濃度が、数日前より明らかに増している。これは単なる自然現象ではない。何らかの強い負の感情が、霧を活性化させている可能性がある」

その、ノア様の言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。

「――グルルルルァァァッ!」

森の奥から、獣の咆哮のような、しかしもっと冒涜的な叫び声が響き渡った。灰色の霧が、まるで生き物のように渦を巻き、その中から、異形の影が姿を現す。それは、複数の獣が無理やり一つに融合したかのような、おぞましい姿の魔物だった。全身から「嘆き」の霧を立ち上らせ、その濁った瞳は、まっすぐに私だけを捉えていた。

「なっ……!?」

「魔物だと!? なぜ神殿のこんな近くに!」

神官たちが動揺する。ジュリアン殿下が顔をひきつらせ、ノア様が眉をひそめて呪文の詠唱準備に入る。だが、それよりも速く動いた者がいた。

「祈様、私の後ろへ!」

シルヴァン様だった。彼は一瞬で私の前に躍り出ると、腰の剣を抜き放つ。その背中は、いつも見ていたはずなのに、今はまるで、乗り越えられない城壁のように大きく、頼もしく見えた。

「聖女に近づけるな! 全員、かかれ!」

神殿騎士たちが魔物を取り囲むが、魔物から放たれる「嘆き」のオーラに触れただけで、次々と倒れていく。

「くそっ、近づけない……!」

「ジュリアン殿下、ここは危険です! 早く神殿の中へ!」

側近に促され、ジュリアン殿下が悔しそうに顔を歪める。ノア様が放った魔術の光も、魔物の手前で霧に吸収され、かき消えてしまった。

「――祈様、どうか、ご自分を責めないでください」

混乱の中、シルヴァン様の静かな声が、私の耳に届いた。

「魔物は、聖女であるあなたの神聖な力を求めて集まってくる。それは、あなたのせいではない。ただ、運命がそうなっているだけです」

彼は、私を振り返ることなく、そう言った。

「そして、あなたをそれらから守るのが、俺の役目だ」

次の瞬間、シルヴァン様の体がまばゆい光に包まれた。彼の銀の髪が、光を受けてきらきらと輝く。

「おお、聖なる光よ! 我が主に仇なす者を打ち払う、聖銀の刃となれ!」

彼が剣を構えると、刀身がまぶしいほどの光を放ち始めた。それは、彼自身の生命力を力に変える、ローゼンベルク王国の騎士に伝わる秘伝の剣技。

「シルヴァン様、だめっ! その技は、あなたの命を……!」

私が叫ぶのと、彼が地を蹴るのは、ほぼ同時だった。

彼は、一筋の光となって魔物へと突進する。魔物が振り下ろした巨大な爪を、紙一重でかわし、その懐へと潜り込む。そして、光り輝く剣を、魔物の心臓部へと、深々と突き立てた。

「グギャアアアアアアッ!」

魔物の断末魔の叫びが、森全体に響き渡る。その巨体はゆっくりと崩れ落ち、やがて灰色の霧となって、風に溶けて消えていった。

静寂が戻る。残されたのは、荒い息をつきながら、剣を杖代わりに片膝をつくシルヴァン様の姿だけだった。

「シルヴァン様!」

私は、何も考えずに彼のもとへ駆け寄った。彼の礼服はところどころが裂け、腕からは血が流れている。

「大丈夫ですか!? しっかりして!」

「……ご無事で、何よりです、祈様」

彼は、顔を上げて、安心しきったように微笑んだ。その顔色は、紙のように白い。

「なぜ、あんな無茶をしたのですか! あなたまで、いなくなってしまったら……!」

涙で声がかすむ。彼を失うかもしれない。その恐怖が、私の心を締め付けていた。この人は、私に選ばれるために、私に殺されるためにここにいるのに。それなのに、私は、彼が死ぬことを、こんなにも恐ろしいと感じている。

「言ったはずです、祈様。俺は、あなたの剣だと」

彼は、ゆっくりと私の頬に手を伸ばした。その手は、ひどく冷たい。

「あなたを守るためなら、この命、惜しくはありません。むしろ……あなたのために死ねるのなら、それ以上の喜びはない」

その言葉は、狂信的で、自己犠牲に満ちていて、本来なら恐ろしいと感じるはずだった。

けれど、今、私の胸に広がったのは、恐怖ではなかった。

彼のまっすぐな瞳。私だけを映す、その青い輝き。私を守るために、命さえもかえりみない、その献身。

そのすべてが、私の心を、強く、強く揺さぶっていた。

(……あたたかい)

彼の冷たい手に触れているのに、胸の奥が、ぽっとあたたかくなるのを感じる。それは、私がずっと忘れていた、誰かに守られるという安心感。そして、今まで感じたことのない、特別な感情。

これが、『愛』というものなのだろうか。

もし、そうだとしたら。

私は、この人を、愛してしまったのだろうか。

この、私のために死ぬことを喜びだと言う、愚かで、愛おしい騎士を。

私は、彼の手に自分の手を重ねることしかできなかった。流れ落ちる涙の理由は、もう、自分でもよく分からなかった。ただ、このぬくもりを、今は失いたくない。そう、強く願うだけだった。

遠くで、ノア様が静かにこちらを見つめ、ジュリアン殿下が悔しそうに唇を噛んでいるのが見えた。

私の選択が、また一歩、残酷なけつまつへと近づいてしまったことを、私はまだ、気づかないふりをしていた。

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